新たな時代のスタート

2016年 9月 25日 『青学 手塚国光財木琢磨さん』はミュージカル『テニスの王子様』を卒業し、『8代目青学 手塚国光役』となり、『俳優・財木琢磨』として新たなスタートをきった

それは私たちファンも同じことである



あの凄まじい氷帝公演大千秋楽を終えて、ツイッター上にはそれを絶賛する声、ひいては彼のあの『手塚国光』としての姿勢を・魂を絶賛する声をたくさん見かけた

もちろん多くのテニミュファンはあのことを美談にするわけではなく、ただ純粋に彼らの心意気を・役者魂、否、テニミュ魂を讃えていた

だからこそ『財木琢磨売れてほしい』といった旨のツイートに勝手に誇らしくなったりもした

いち俳優さんを応援させていただいてる身として、『売れる』ことを望まないファンは少ないと思う

しかしながら問題はその『売れ方』だ

彼が本当に近い将来大成を成し遂げたとき、あの凄まじい魂の試合を刮目した私たちは彼のその『手塚国光』としての覚悟が世界に伝わったと嬉しくなるのだろう

だからと言ってみんな言ってるけど、あの試合を美談にしてほしいわけではない

近い将来、今以上に有名になって、おしゃれイ○ムやらA-st○sioやらなにかしらのトーク番組に出たとしよう

きっとその頃にはテニミュも今以上に世間に知れ渡っている(と、いうヲタクの願望も込めて)ので当然あの凄まじい試合の話題に触れられるであろう

そこであの試合が美談になって、語られようものならたまったものじゃない

当時の背景を何も知らない大人たちが「血塗れになってもなお、役を貫いた」と言って絶賛するのだろうか

もちろんそれ自体も凄いことではあるが、違う、そうじゃない

私の拙い国語力ではうまく伝えられないが、そうじゃないんだ


もちろんあの出来事自体は言ってしまえば『あってはいけないこと』だし、打ち所によってはあの公演全てが御蔵入りするレベルだったと全てを終えた今、改めて思う

大事に至らなくて本当によかったです

特に実際試合していた二人にとっては後味があまりよくない出来事であったし相当悔しいだろう

かといって彼らは自分たちを責める必要はなにひとつないと私は思う


あの瞬間の緊迫感、セリフひとつひとつが全てリンクしてしまう皮肉さ…そして凄まじさ

あの時財木琢磨さんには『手塚国光』が、三浦宏規さんには『跡部景吾』が乗り移ってた

最早みんながみんなのキャラが乗り移ってたと思う

私の拙い語彙力では全く伝えきれないのだが、間違いなく『手塚国光』と『跡部景吾』があの場にいた

常々財木さんの手塚を見て「うわ、手塚がいる……」と思ってはいたがそれすらも超越する存在感がそこには間違いなくあった

私たち人間はどんなことでも少しずつ忘れていってしまう生き物であると私は思う

「一生覚えている」と口では言っても現実問題脳細胞は常に分裂を続けているのでその記憶は無意識のうちに自分たちの都合のいい方に塗り替えられていく

それは致し方ないことである

きっともうこの時点でも、あの凄まじい試合を場面の数々は人それぞれ異なるものとなってしまっているのであろう

(だからこそ毎度毎度丁寧に事細かくレポを書き落としてくださる方々には感謝しかない)

そういう意味では何かしら『記録』に残してもらいたい気もする

私たちがあの熱意を忘れないためにも

(と言うより、あの熱意を"大人の事情"で丸っきりなかった事にされたくないのである)

しかしながら、あの場にいた(ライビュも含めて)人たちにしか、あの本当の凄まじさは伝わらない

後世に語り継ぐ綺麗事なツールの一環として利用されてしまうのであればいっその事御蔵入りにしてもらっても構わない

などといった矛盾しすぎていることを大楽後から悶々と考えている


話が戻るが、彼らにとって、あの試合が後悔に変わってしまわないことを願わずにはいられない

あの試合でそれぞれのキャラを離さず貫いた彼らは本当に立派と言うか立派以上の言葉があれば教えていただきたいくらい立派だった(語彙力の死亡)

きっとこれから先も『あの試合』に対する賞賛はたくさんいただくことであろう

ただ、思い違わないでもらいたいのは、彼らはあの出来事がなかったとしても、ずっと立派にそのキャラでい続けてたわけであって、そこを誇っていただきたい

確かにあの場面で怯まなかった彼らを突き動かしたのは彼らの持つ役者魂(もといテニミュ魂)であると同時に、電波なこと承知で申し上げると、それぞれのキャラが護ってくれてたのだと私は思う

しかし『手塚国光』も『跡部景吾』も、なにも生半可な気持ちでコスプレ()してるだけの若者のことなんて護らない

そこであの手塚と跡部が護るほどに魂を突き動かされたのはやっぱり彼らがあの瞬間までキャラでい続けようと立ち向かい努力を重ねた結果なのだということだと私は思う


だからこそ私はあの日『8代目青学 手塚国光役』を美しく卒業した財木琢磨さんに幸せになっていただきたいのだ

月日も浅はかながら、勝手にファンを名乗らせていただき、陰ながら応援させていただいてる立場として、そりゃもちろん売れてもらいたい

『売れる』と言ったら俗だが、彼自身が

「色々な劇場で歌ったみたいですし、舞台では味わえない映像の世界も知ってみたい」

こう言っているのだったらそれを叶えてあげたい

(ライブドアインタビューより抜粋 http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12032375/?p=2)


テニミュと出会うまでは、特に明確な目標もなくこの世界に飛び込んだ(失礼かも知れないけど当時の彼を少なくとも私はそう捉えてます)彼が、自分の思いを言葉に紡ぐのが苦手な彼が、テニミュと出会い、たくさんの仲間たちと出会い、やっと自分の言葉で表現してくれたのだから尚のことである

私は正直彼の口からその言葉を聞くまで不安で仕方なかった

もし、テニミュに満足して、あるいはまた別段の退っ引きならぬ事情でこの世界に留まり続けることを辞めてしまわないか?

もっともっとこれから増すであろう彼の輝きをみることが叶わなくなってしまうのだろうかとすごく不安だった

だからこそ『卒業』と同時に『次のお仕事』が心配で仕方なかった

もちろん今も彼の『次のステージ』を私たちは知らないけれども

でも彼は、不器用ながらも自分の発言にはしっかり責任を持ってくれる人だというのを約2年間、その背中で思い知らされた

そんな彼が自分の言葉で紡いだその『夢』を実現しないなんてことはない

そしてそれに向けての努力も惜しまない人だというのも充分思い知った

今、希望に満ちた、彼の思い描く未だ見ぬ景色はさぞかし美しいのだろう

実際に見た景色の感想も聞きたいし、私たちファンにもそんな景色を魅せてもらいたい

私たちファンのちっぽけな声援ひとつひとつが彼の力になるのなら私はいつだって、いつまでだって自分の心の許す限り応援し続けます

月並みだけど彼の幸せが、私たちファンの幸せなのだから


財木琢磨さんの今後のさらなる御活躍を祈って締めさせていただきたいと思います